フィルソンのティンクロス ブッシュハットは、棚の上にあっても道具のように見える。オリーブ色のワックスドキャンバス、ワイドブリム、革のチンコード。手に取ると、思ったより重い。どこか古い現場から持ち帰ったような佇まいで、それが今もフィルソンのカタログに変わらず載り続けている。

フィルソンのティンクロスとは

1897年、クリントン・C・フィルソンはシアトルで店を開いた。ゴールドラッシュに沸くアラスカへ向かう採掘者たちに、服と道具を売るためだった。彼が「アラスカ開拓者向け衣料・装備」として売り出したのは、現場で本当に使えるものだけ。採掘者たちが求めていたのは、泥に耐え、雨を弾き、枝に引っかかっても破れない素材だった。快適さよりも、過酷な場所でただ機能することが求められていた。

その答えとして生まれたのがTin Cloth──コットンにワックスを染み込ませた生地だ。軽くはない。柔らかくもない。それでも水も風も、まるで意に介さないように弾く。繊維の目が詰まっているから、荊棘を通さないし、雨の中でも芯まで濡れない。最初の一枚が作られてから127年、製法の基本は変わっていないらしい。フィルソン自身は1919年に世を去っているが、彼が採掘者のために選んだ素材は今も同じ名前で作られている。

Photo: Studio of Asahel Curtis / Public Domain

ゴールドラッシュが終わると、フィルソンの顧客はハンターや釣り人、山で働く木こりたちへと移っていった。フィールドが変わっても、Tin Clothへの要求は変わらなかった。

ハンティングと釣りと林業が作った形

ブッシュハットとしての形も、同じ理由から来ている。ワイドブリムは横から降り込む雨を防ぎ、低い枝や藪から顔を守る。チンコードは強風でも飛ばされないための備えだ。クラウンに並ぶアイレットは、長時間かぶり続けても蒸れないための通気口。オリーブや茶系の色は、ハンティングのフィールドで獲物を警戒させないための選択だった。

かぶると、ブリムが少し視界を遮る。それが屋外では都合がよかった。強い日差しの中でも、雨粒が目に入ることもない。現場でものを見る、というのがこのシルエットの出発点なんじゃないかと思う。

フィルソンのティンクロス ブッシュハットには、デザインと呼べるものがほとんどない気がする。あるのは、何十年もの間、現場の人間が必要としてきた仕様が積み重なった結果だけだ。新しいシーズンごとにシルエットが変わるわけでも、素材がアップデートされるわけでもない。変わらないことが、このブランドにとっての誠実さなんじゃないかと思う。

被ると、どこかへ出かけたくなる

これをかぶると、なんか外へ出たくなる。

行き先は特に決まっていなくてもいい。雨が降りそうな週末、川沿いを歩くくらいでいい。ただ、このハットをかぶると屋根のある場所にいるのが少し似合わなくなる気がして、それが不思議と心地よい。

Tin Clothは使うほどに色が深まる、と言う。採掘者も、猟師も、釣り人も、木こりも、意識してそれをやっていたわけじゃない。ただ着て、現場に出ていた。雨に打たれ、日に焼け、素材が変わっていくのは、それだけ外にいた証拠だ。

今ここにあるこのハットも、たぶん同じように変わっていく。どこへ出かけるかは、まだ決まっていないけれど。