19世紀、ニューヨーク州ニュー・レバノンで作られたほうきがある。ブルームコーン(モロコシの一種)を束ねて平たく仕上げたそれは、写真で見ると道具というより彫刻みたいな佇まいで、しばらく眺めてしまった。

「SHAKER DESIGN」は、ニューヨークのWhitney Museum of American Artが1986年に刊行した展覧会カタログだ。シェーカー——18世紀にイギリスからアメリカへ渡り、ニューイングランドを中心にコミュニティを築いた人々——が生み出した家具や道具を、約200点の図版とともに収めている。

彼らの名前は、集会中に体を揺らす習慣からついたという。でもこの本を眺めていると、そんな由来よりも、彼らが手で作ったものたちの方が、ずっと多くを語っている気がしてくる。

ニュー・レバノンの、ほうき職人たち

シェーカーは従来の丸いほうきを改良して、平たく束ねた形を生み出した——床の隅まで届くように。それが後にアメリカのスタンダードになった。使い手のことを考え続けた結果が、形を変えた。なんか、そういうエピソードが好きだ。

シェーカーのコミュニティは、家具や道具を外に売ることで生計を立てていた。「シェーカー製」というだけで、丁寧に作られたものだという証明になったという。品質への誠実さが、そのままブランドになっていた。

空間を清潔に保つことへのこだわりは、そこに住む人への配慮であり、自分たちが作ったものへの敬意でもあったのかもしれない。そう思いながら写真を見ると、ほうきの佇まいがすこし違って見えてくる。

シェーカーデザインって、何がすごいんだろう

余計なものを削ること。それがシェーカーのデザインの根っこにある考え方だ。

曲線は構造上の必要から生まれ、接合部は見えないところまで丁寧に仕上げられる。見栄えのためじゃなく、誠実であるために。装飾を拒んだのは、厳しいルールがあったからというより、「本当に必要なものだけ」という問いを、ものを作るたびに繰り返してきた結果なんじゃないかと思う。

バウハウスが「形は機能に従う」と理論化するより百年以上前に、シェーカーはすでにそれをやっていた。20世紀のモダンデザインが辿り着いた場所に、19世紀の初めからもう立っていたわけで、そのことを、この本を眺めながらぼんやり考えた。

表紙の丸い木箱も、シェーカーを象徴するもののひとつ。薄く削いだ楓の板を曲げて、「スワロウテイル(燕の尾)」と呼ばれる継ぎ目で接合する。大きいものから小さいものまで入れ子状に重ねて、用途に合わせて選ぶ。シンプルそうに見えて、実はかなり高度な技術が要る。でも表面に飾りはない。技巧は、外に出さない。そういうところが、なんかかっこいいなと思う。

Photo: Samuel Kravitt / Public Domain

正方形の本を、手に取る

版型は正方形に近くて、手のひらにちょうど収まるくらいの重さがある。黒いカバーは少し硬く、ページをめくるたびに図版が静かに現れる。椅子、箱、テーブル、ブランケット、農具。見ていると、なんとなく静かな気持ちになってくる。

飾らないものが、かえって強い存在感を持つことがある。余白が多いページが、息を抜かせてくれる感じ。読む本というより、眺める本。何か作るとき、何かを選ぶとき、ふと開いてみたくなるような一冊だと思う。

シェーカーのコミュニティは、いまほとんど消えてしまった。最後の数人が、メイン州のひとつの村でいまも暮らしているとだけ聞いた。でも彼らが残した道具は、美術館の収蔵庫に、こういう本の中に、静かに生き続けている。

シェーカーの丸い木箱は、いまも世界中で人気がある。アンティークは骨董市で高値がつき、同じ技法を受け継いだ現代の職人が新しいものを作り続けている。コミュニティは消えても、かたちは残った。誠実に作られたものは、作った人より長く生きるのかもしれない。